アーユルヴェーダの身体観
4月の1週目から毎週金曜日の夜に「アーユルヴェーディックアナトミー」のスカイプクラスを開催しています。
このクラスは2月〜3月約2ヶ月で開催していたクラスのリバイバルクラスで、アーユルヴェーダ解剖(生理)学について、インドのアーユルヴェーダ医師教育課程の学生向けテキストをつかって原文を読み、解説する、というスタイルでおこなったものです。
いま読んでいるところは、シャリーロパクラマネーヤ – シャーリーラという、解剖(生理)学を学ぶためにまず知らなけれないけ無い身体と身体にまつわること(生理)、すなわち身体観について。
アーユルヴェーダが観る「生命」「人間」「人体」はとても独特です。
昨夜のクラスで、トリダートゥプルシャハ(3つからなる構造としての人間)というところで、「ドーシャ」「ダートゥ」という言葉について説明されている箇所を読みました。
「調和されているときにはダートゥ、そうではないときにはドーシャ、という。」
最初この部分にみなさん戸惑われます。
なぜなら、ドーシャ(作用 機能)ダートゥ(組織)で別々のものだと理解しているから。
ダートゥという目に見える構造にどのような変化、病変があるのか、それをもたらすのは、ダートゥそのものではなく、ドーシャ。
「罪を憎んで人を憎まず」という諺もありますが、私たちが通常認識できる部分で、正しいか間違っているか、良いか悪いか、を判断しようとしますが、そのものではなく、そこに影響をあたえる「作用」(カルマ)に目を向ける必要があります。
身体の話をしているはずが、、、気がつけば、日々起こる出来事について、私たちは何を見るべきなのだろうか、というディスカッションで盛り上がりました。
でも、これは脱線ではありません。アーユルヴェーダは「肉体」を扱いますが、肉体の概念そのものが、ヴェーディックな知識の中にあるため、その理解がなくしては、ドーシャ、ダートゥ、など初歩的な概念そのものを正しく得ることができ無いのです。
アーユルヴェーダの学びや実践を通じて、ヴェーダの叡智と触れ合い、そこから本質への気づきを得ていく。
私がみなさんへお伝えしたいこと、お渡ししたい部分はここにあります。
アーユルヴェーディックアナトミー、次の章の勉強会を5月中に再開したいと思います。
目下翻訳準備中ですので、もう暫くお待ち下さい。
そして、アーユルヴェーダの精神について(精神心理学)の勉強会もスタートしたいと考えています。
アナトミーでは身体構造に起こることを見ていくので、同時にマナスのことも確認していくとバランスが良いです。こちらは、アーユルヴェーダ古典からの出典だけでなく、一部バガバッドギーターが引用されています。
開催日程が決まりましたらお知らせしたいと思いますが、ご興味のある方は事前にご連絡いただけましたら、開催日程の調整ができると思います。