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アーユルヴェーダをどう伝えるか

今日は月一回お邪魔している名古屋での基礎講座でした。
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<体質別の献立を真剣に相談中の皆さん。学んだことをしっかりと応用表現!>

前回(初回)でアーユルヴェーダ基礎理論のパンチャマハブータやドーシャ、ダートゥ、アグニ、そしてプラクリティまで、一気に駆け抜けたのでご参加されている方々のご様子が少々気になりながら、、会場に向かいました。

この一ヶ月、前回学んだことから、どんな気づきがあったか、何か変化があったか、というシェアからスタート。

ーアグニ(消化力)への意識がでて食事の仕方が変わった
ーパンチャマハブータ(5大元素)を身近に感じられるようになった

と、前回私がお伝えした方箇所をみなさんしっかり受け取ってくださったようです。

そして、こんなご意見も。。

「実は少々混乱があります。前回のクラス後アーユルヴェーダって思ったよりも広がりや柔軟性があるんだな!と思ったのですが、、、このクラス以外の、一般的な場所では、体質で何を食べるか、食べてはいけないか、ってことを厳密に管理するのがアーユルヴェーダとして伝わっているような気がするんですが、、、。」

なるほど、そこですね(笑)

かつての私も、教科書や先生に教えていただいたアーユルヴェーダのルールを厳密に守らなければいけない、と思っていました。

そしてどうしてもできないことがあったときに、(努力はしてみたけど、、という状況)ああ、私ってまだまだだなあ。。と自己卑下をしたり罪悪感を持つことが多かったような気がします。

クライアント様や授業を受けに来てくださる皆さんから

「私にはアーユルヴェーダは合わないかもしれない」
「できなくてごめんなさい。。」

という言葉もたくさん聞いてきました。

最初のうちは気が付きませんでしたが、、

あれ?なんのためのアーユルヴェーダ??

と、ふと、思いました。

出来ないからダメ、治らない、向上しない

良くしたければ努力しなさい。

これも一理あり。

ただ、無理をしていることで確実に心の奥底に色々な沈殿物を残します。
罪悪感、自己嫌悪、嫉妬、怒り、悲しみ、絶望など。。

頑張ること、努力すること、は悪くありません。
気持ちよく、否定的な気持ちが生まれない状況下で、自分を完全に受け入れた上でルールを厳守できれば、問題ない。

なので、私は基礎講座や入門講座では、できるかぎり
「べき」「べからず」
を使いません。

ヴァータ体質の人が、いま何を食べてどんな生活がいいのか。
明確な答えはあります。
ただ、答えに縛りつけるような伝え方をしないようにしています。

アーユルヴェーダがなぜ、これを薦めて、これを避けるように示しているのか

できる限り丁寧に伝えようと努力しています。

そしてもし、あまり良くない、というものを食べたり、
習慣を正せなかったとき、
そういう自分を批判したり落第点をつけてしまわないように気をつけて伝えるようにしています。

出来ない、ということには理由があって、出来ない(しない)ことでバランスをとっている、という事もありますから。。

まずは、自分を等身大で受け入れること。
そこからアーユルヴェーダの様々なルールを取り入れたのであればきっと楽しく最短で到達したい場所にいけるのではないかな、と思っています。

行きたい場所があったら、まずはその目的地をしっかり確認して、そこから方位、手段、規則の下に進む。crossroads-decision-resized-600

私が入門、基礎講座で大切にしているのは、どの道をいけばいい、というダイレクトな道順をお伝えするのではなく、地図を広げて、みなさんがいまどの位置にいて、目指す場所はどこで、目的地にたどり着くための方法としてのアーユルヴェーダ(手段とルール)を理解していただくこと。
そうやって理解していただいた皆さんは、自分で進むべき道を自主的に選び、快適に目的地へと、アーユルヴェーダとともに自分の足でたどり着く事ができるだろう。と信じています。

ただし、、ある程度学びが進んできたら、「べき」「べからず」のスパルタ方式もたまーに、あります(笑)

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