何のためにそれをするのか?
今朝目覚めたとき、いつもの朝とちょっと違う感覚でした。
昨夜観た映画の影響だと思います。
先日無料上映会があり話題になっている「覚醒!ヨガナンダの生涯」をnetflexで見ることができました。
観ている間も、観終わってからも、夢の中でまで、、私にとても深い語りかけをしてくる作品でした。
今、私がここにいることの意味。
子供の頃からずっと抱き続けている「私は誰?」という疑問。
これは私に限らず、人であれば「知りたい」とおもう普遍的な欲求なのですね。
ただ、現代では皆が忙しくなり、この原始的かつ普遍的な疑問に対峙していない(する時間がない)のかもしれません。
毎月の支払い(お金)のために嫌々仕事をする。
そのように仕事をしているから当然ストレスフルになり解消するために様々なレジャーが必要になり、またそれにもお金がかかる
お金がなくなると不安になり、お金を手元に引き寄せるためにさらに忙しく(嫌な)仕事をする。
ああ、、書いていて苦しくなりますね、、
じゃあ、お金に縛られなければいいのでは?
もしくは楽にお金を引き寄せて自由自在に使えるようになればいいのでは??
という考えもありますが、、、
そもそも、私たちは何のためにここに生きているのか?です。
仕事をするため?
お金を稼ぐため?
自分にとって楽しい毎日を送るため?
だれかの役に立つため?
社会奉仕するため?
どれも大切。でも、これが目的ではないはずです。
仕事も、お金も、楽しさも、、そして善行すら、目的に向かうために通っていく必要のある道ではあるけど、そこがゴールではない。
映画の中で印象深かった場面。
ヨガナンダのもとに通って学ぶアメリカ人の回想。
ヨガナンダ師がその人に質問をします。
あなたはタバコをすいますか?ーはい。
お酒は飲みますか?ーはい。
複数の女性と関係をもっていますか? ーはい。。
それに対し、ヨガナンダ師は、
そうですか、ではどうぞお続けください。
と言ったそうです。
師のもとで真理を学んでいる、なのに、社会に出たら(戻ったら)そのような悪行を続けていい、というのは一体どういうことでしょうか?
しっかりと学び続けていれば自然とそのようなことをしなくなるから、無理に辞める必要はないのだ、と言います。
今していることがいいか悪いか、の判断だけによらず、その先の本来の目的に向かっていくことの重要性。
そして、結果として、前述したような悪習慣などすべての行いや思考が整い、調和していく。
私たちは、目の前の出来事に善悪、快不快を見たり、答えをそこに求めることがあります。
その時にどこか窮屈さや葛藤が生じるのであれば、焦点が狭くなっているのかもしれません。
でも、、視野を広げていくことは言葉で言うほど簡単ではありません。
頭ではわかったつもりでも、心が拒否することは往々にしてあります。
そして一足飛びに何かを達成することは決してありません。
少しづつ積み重ねていくしか到達することはできないのですね。。
コツコツと、丁寧に。。
2015年が終わりゆくこのタイミングでこの映画を観たことでグッと濃厚に統合された感覚になりました。