Traditional Ayurveda Japan の軌跡1
2018年9月
Traditional Ayurveda Japan は「アーユルヴェーダスクール」として再び新たな歩みを始めることになりました。
この機会に、これまでの歩みを振り返り、ここからの展望についてこちらに記しておきたいと思います。
アーユルヴェーダスクールとして右肩上がりの成長期
2006年にアーユルヴェーダトリートメントを提供させていただくようになり
2007年に「セラピストトレーニングを受けたい」というご要望が入るようになったことで自然発生的に始まったアーユルヴェーダスクール。
インドの施設と提携したり、現地資格の習得をするコースを作ったり、現地に学びに行ったりできるスクールとして、沢山のご受講生様とのご縁をいただいて参りました。
年々受講生が増え、一時期はスクールには1クラス12名、年間で50名を超えるセラピストコース在籍者、インド研修には毎回20名近い方が参加されるように、いつの間にかTAJはアーユルヴェーダスクールとして大きく成長していました。
ですが、今から3年前、突然のスクール辞めます宣言。
私、田島の数年にわたるスクール運営における葛藤が、その決断を後押ししました。
アーユルヴェーダスクールを続けることが苦しかった修行期
自分のアーユルヴェーダに対する純粋な情熱や希望が、スクールを運営する中でどんどん形が変わっていく事への怖さと、出来るだけ多くの受講生の期待に応えなくては。。というプレッシャー。
ビジネスとして考えれば、間違いなく右肩上がりの成長でしたが、本当にこれで良いのだろうか?
という、罪悪感のような、後ろめたさのようなものがあったのです。
そして、このような状態で運営を続けることに限界を感じ、
2015年、セラピスト養成講座開講を辞めるだけではなく、2016年にはTAJの大きな看板であったインドの施設との提携も契約解除をしました。
手伝ってもらっていた講師たちも徐々にいなくなり、私はまた一人になりました。
このまま、TAJは自然消滅していくのかな。。とぼんやりと考えていました。
と同時に、そもそも何故自分はアーユルヴェーダだったのか?と振り返ったのです。
アーユルヴェーダとの出会いまで
アーユルヴェーダとの出会いは25年ほど前。
その後10年ほどのタイムラグがあり、セラピストになるための勉強を始めました。
きっかけは自身の鬱とパニック障害、胃潰瘍を発症し、会社を休職することからです。
当時大好きだった音楽業界でバリバリ働いていましたが、あるときを境に業績を上げられなくなってしまいました。
それまで、私が担当するプロジェクトは爆発的な売り上げを更新し続けていたので、会社側も、「どうしたんだ?」と不思議に思ったようです。
何よりも、自分がその理由がわからない。。 なので焦りました。
やればできるはず。
私はこんなはずじゃない。
頑張りが足りないのか?
焦れば焦るほど、業績は下がり続け、気がついたら鬱とパニック障害、胃潰瘍で動けなくなりました。
リハビリ期間を2ヶ月いただくことができ、その時にヨガ、自然農法に出会います。
呼吸ができなくなっていた私に、ヨガと畑仕事が呼吸の仕方を思い出させてくれました。
その後職場に戻るのですが、やはりプレッシャーに潰されそうな毎日で、なかなか全快しない。
思い切って退職届を出し、生まれ育った東京を離れ、現在の拠点藤沢へ移住しました。
藤沢を選んだ理由は「海」。
当時ヨガ、畑仕事とは別に、サーフィンをし始めたということもあり、海の目の前に引越しました。
2002年藤沢への移住が私の人生に大きな転機をもたらすことになりました。